きっと全部お前のせい
香村早紀
銀杏の葉を巻き上げて、目抜き通りを踊るように歩く。
今日は金曜、仕事も早上がりだ。会議のための資料作りも面倒臭いタスクも全て終えて、定時には会社を上がっていた。ターミナル駅でいつもと違う電車に乗り換えて、どこか浮ついた人々を尻目に二十分。ぞろぞろと繁華街へ降りていく人の流れに乗って、俺は目指す場所へと迷いなく歩き出す。
何を隠そう、今日はダイナミクスの性を解放する日なのだ。ダイナミクス性を持つ俺たちにとって、それは体調管理でもあり、ちょっとした娯楽でもあり……、あるいは、恋愛の対象を探す出会いの場であったりもする。
俺は現在、絶賛独身満喫中だ。首輪こそ贈ったことがないものの、以前はパートナーもいた。最近コマンドを出してもあまり高揚感を得られなくて、クールダウンも兼ねて放浪中である。
今日はどんな相手がいるだろうか。まだ見ぬSubに胸を躍らせながら、会員制の札が提げられた重厚なドアを開いた。
◆ ◆ ◆
会員制ダイナミクスバーの中は、まばらに人が集まり始めていた。低めのカウンターと大きめのスツールを用意されたSubは、"Kneel"の姿勢でDomのコマンドを待っている。宝石を入れた細いチョーカーは、隣にいるDomから贈られた首輪だろう。お熱いことだ。
俺はその蜜月の光景からそっと目を逸らす。嫉妬深いDomから要らぬGlareを浴びるのは好きではない。
ダイナミクスバーは、同好の士と巡り会い、Normalが眉をひそめるようなプレイに耽るには格好の場所だ。本番行為、すなわちセックスは禁止されているが、大抵の道具とセキュリティシステムは揃っている。初めて出会った相手とプレイをする場所として、安全なダイナミクスバーが選ばれることは少なくない。
今日はパートナーを連れて楽しんでいるSubが多いようだが、夜が更けるとともに独り身のSubが現れるかもしれない。カウンターについてマスターにロングカクテルを頼むと、サーブされたのはジン・フィズだった。
「あるがままに、なぁ……」
コースターの裏に書かれた文字は、マスターが手書きで添えるカクテル言葉である。確かに、ダイナミクスバーにはおあつらえ向けの酒だ。日頃押さえつけたダイナミクス性を解放するための場所なのだから。
――まあ、Switchなんて面倒臭い性が、完全に開放されることなどないのだろうが。
よく冷えたタンブラーを傾けると爽やかなレモンの酸味が通り抜け、あとに苦々しい味が残った。
DomにもSubにもなりきれない、半端者の性。俺たちSwitchは、Normalと呼ばれる『普通』の人間から外れたダイナミクス性の中でも更に少数派だ。
Switch同士で相性のいいパートナーを探すのは、砂漠の中から一本の針を探すようなものである。だからほとんどのSwitchは、DomとSubどちらか弱いほうの欲求を抑制剤で押さえつけるか、DomとSub両方のパートナーを持つかのどちらかを選択する。
――とはいえ、後者はSwitchが他のダイナミクス性に嫌われる所以の一つではあるが。
幸い、俺はDomの傾向がかなり強いタイプだった。胸ポケットの内側には抑制剤が入っている。これさえ飲めば、俺は完璧なDomとしてふるまうことができるのだ。
ポケットの中をまさぐり、ピルケースから薬のシートを取り出す。そのとき、背後から甘い香りが漂った。
「――すみません。隣、いいですか?」
「ふぁっ……⁉」
肩が跳ねた拍子に薬が手から零れ落ちる。アルミのシートが床に落ち、カシャンと乾いた音を立てた。
「おっと、すみません。驚かせてしまいましたね」
「あ、いえ……」
俺に声をかけた相手が、しゃがみこんで床に落ちた薬のシートを拾う。俺のものだから俺が拾うべきなのだが、と焦っている間に、手元に薬が戻ってきた。あらためて声の主に視線を向けると、俺はその男に釘付けになった。
――なんだこのイケメン。なんだこの痺れるような低音ボイス。
何と言ったって顔が良い。ただでさえ照明の暗いバーの中で、この男の琥珀色の瞳はランプの明かりのように目を惹く。黒髪や黒を基調とした服装と相まって、まるで夜の総支配人のようだ。流れるような仕草でカウンターチェアに腰かけ……いやいやいや、足がべったりと床につきそうなんだが⁉ 股下二メートルか⁉
「君の大事なものを落としてしまったお詫びに、一杯ご馳走させてください」
「ふぇ……っ⁉ いや、そんな……!」
茫然とする俺をよそに、かの色男はバーテンダーを呼ぶ。スクリュードライバーを、と頼めば、マスターは何も問わずに二人分のカクテルを作ってくれるのだ。
「ほ、本当に、申し訳ない……」
「いえ、こちらこそ。僕が始めたことですから」
うわ、笑顔がハチャメチャに眩しい。同じくらいの歳だろうに、このイケメンは半端なく格好いいのだ。
「それに僕としては、あなたと一緒にお酒を楽しむ口実をもらえてラッキーなくらいです」
びく、と肩が跳ねてしまったのは不可抗力だ。言葉のセンスと語尾にくっつく吐息の色気がヤバすぎる。色気の火炎放射器か?
周りの客がこちらをチラチラと見ているのがわかる。いや、俺もこんなイケメンは初見なんだが。カウンターはまだ空きがあるのに、わざわざ俺の隣を陣取った理由も謎だが。
ぼうっとしていると、スクリュードライバーです、とマスターがそれぞれにグラスを出す。オレンジジュースの鮮やかなイエローが、店内のオレンジの光を浴びてまるでこの男の瞳のようだった。
「では、乾杯」
男はグラスを目線まで持ち上げて、空中で乾杯の仕草をしてグラスを傾ける。君の瞳に……というクサい台詞が脳裏をよぎる。つられてカクテルを煽ると、オレンジジュースにアルコールのコクが混じって何とも言えない大人のドリンクに仕上がっていた。
「ここにはよく来られるのですか?」
このイケメン、グイグイ来るな。とはいえよほど酔狂な者でない限り、出会い目的のダイナミクスバーで独り飲みに興じる人間はいないのだが。
「……ええ、まあ。俺たちのような者は、一般の方々とは相容れないことも多いですから」
俺は喋りながら、ワイシャツの袖から青いリストバンドを覗かせる。青はDom、赤がSub。俺はいつも青のリストバンドをつけている。Domと同じように、Subにコマンドをかけて支配するのが好きなのだ。
男の視線がちらりと俺の手元を見る。こちらも相手の手首を盗み見たが、ニットに隠れてよく見えなかった。だが、相手がこちらに興味を示し続けているところを見ると、恐らく赤いリストバンドをつけているのだろう。こういった探り合いの中で、互いの相性を測るのだ。
「そうだよね。僕も最近、いいパートナーに巡り会えなくて」
いや、お前みたいなイケメンなら選び放題だろ……という言葉は飲み込んだ。顔で判断したらコンプライアンスに関わるご時世だからな。まあ俺はガチガチの面食いなのだが。
「これまではずっと、パートナー探しはアプリでやっていたんです。でもマッチング疲れのせいか、実際の出会いに漕ぎつけることがなくって」
笑っちゃいますよね、と男が肩をすくめる。わかるぞ、俺だってメチャクチャ丁寧にチャットしていざ会ってみたらマルチ商法だったことがある。おまけにダイナミクス性ですらなくて、キレ散らかして帰ったが。
「――俺も、アプリは苦手です。本当のところは、会ってみないとわかりませんから」
とまあ憂いを帯びた流し目をして、甘い液体を喉に流し込む。……うっ、今日は酔いの回りが早いかもしれない。
「でも、ここへ来たのは幸運でした」
男は朗らかな笑みを浮かべる。なぜ、と聞く代わりに視線をやると、男とばっちり目が合った。
「だって、君のような魅力的な人に巡り会えたのだから。歳も近いようだし、敬語もなしにしないかい?」
「な、……っ!」
急に恥ずかしさがこみ上げてきて視線を逸らす。あの瞳の色は、俺の方を見透かしてくるみたいで思わずどきりとしてしまう。同じ男としては非常に悔しいところである。
「……わ、かりました。いや、わかった。俺のことは長谷部と呼んでくれ」
だがここはダイナミクスバー。共にプレイを楽しむパートナーとしは、非常に好感度の高い男である。
「僕は燭台切光忠。光忠と呼んでほしいな」
みつただ。心の中で男の名前を復唱する。華やかでありながら武士のような実直さを持つ、この男にぴったりの名前だと思う。
「君とは気が合いそうだ」
光忠の頬は、酒にあてられたのかほんのりと朱に染まっていた。
◆ ◆ ◆
「セーフワードは……月並みだけど"Red"でいいかな?」
互いにプレイルームへ入った俺たちは、それぞれのロングコートをハンガーにかけた。構わない、と返しながらあらためて男の体格をまじまじと見つめると、逆三角形の肉体にがっちりとした胸筋、メリハリのある腰つきが好ましい。こういった、いかにも男らしい風貌のSubをspaceに入れる瞬間が大好きなのだ。黒革の手袋をクイと引っ張る仕草もまるで俺を誘っているようで、視線が獲物を追うように男の仕草を追う。
「じゃあ、始めよっか」
蜂蜜色の瞳がじっと俺を見つめ、今にもとろりと蕩けそうなほど熱を帯びる。我にもなくごくりと喉仏が鳴り、男がとびきり美味しそうなフェロモンを出した――ような、気がした。
「"Kneel"」
「は……?」
ぶるり、と膝が震える。待て、俺はまだコマンドを出していない。だが、頭で理解するより先に身体が勝手に動き、視界がぐっと低くなった。
「っ……⁉ 待て、これは……⁉」
クリーニングに出したばかりのスラックスが床を擦り、指先に毛足の長いカーペットが触れる。抗って立ち上がろうにも、足が微塵も動かない。まるで地面に縫い止められたようだ。――それはちょうど、コマンドを発せられた健気なSubのように。
男は俺の目の前にしゃがみこみ、嬉しそうに微笑んだ。柔らかそうな唇が緩み、甘い言葉を紡ぐ。
「"Good Boy"……よくできたね」
「は、なんで……」
黒革の手袋をはめた手が伸びてくる。その手袋は"Strip"とコマンドをかけて脱がしたいと思っていたのに。髪にそれが触れて、ふわりと撫でられたとき、Kneelの状態で床につけていた腰にゾワリと鳥肌が立った。
「っ……!」
こんなの知らない。知ってはいけない。たった一つのコマンドで、"Good boy"と褒められただけで。この昂りはDomとしての喜びに似て、だがこの身を包み、精神の全てを委ねたくなるような、この安心感は……!
「き、貴様……っ! Subじゃ、なかったのか⁉」
「うん? 僕はSubだなんて言った覚えはないなぁ。でも君だってSwitchなのに、Domのリストバンドをしているだろう?」
唇がわなわなと震える。混乱だけでは説明のつかない震えが、腰から胸に上がってくる。ああそうだ、お前がSubだと言ったことは一度もなかった。Domだと言われた記憶もないがな!
「君がピルケースに入れているその薬はSub専用の抑制剤だ。そうだろう?」
図星を言い当てられて飛び出しそうな心臓を押えると、胸ポケットに仕舞ったピルケースの固い感触にぶつかった。ああそうだ、これを飲もうとした瞬間に、この男が背後にやって来たのだ。
「貴様……ッ! 最初から俺を騙そうと……!」
噛み付くような台詞と睨みで男に凄む。だが悲しいかな、服従の体勢を取った状態ではまるで効力がない。まるで威嚇する野良猫に猫じゃらしを与えるような目で、慣れないKneelの格好をさせられた俺を観察する。
「きみ、どれくらいDomのふりをしていたの?」
「Domの『ふり』だと? 確かに俺はSwitchだが、少なくとも性質の半分はDomだ! おまけに一度もDom以外でプレイしたことがないんだ、実質Domのようなものだろう!」
ましてや、Subの真似などしていられるか!
「おや、コマンドを受けるのは初めてだったんだね。それは大変だ」
光忠は依然として俺をじろじろと鑑賞しながら、心にもないようなことを口にする。慣れないKneelをさせられた無様なSwitchが、そんなにおかしいか。
「……俺にはSubだけで間に合っているんだ。お前みたいなDomはお呼びじゃ、な、い……」
じりじりと男が距離を詰める。"Kneel"を命じられたこの身体は逃げることを忘れたかのように従順な姿勢をとっている。抑制剤さえ飲めばこの衝動は収まるだろうか。胸ポケットに仕舞いこんだピルケースの存在が、まるで地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のように感じる。だが、この忌々しいコマンドを発するDomを目の前にすると、まるで蛇に睨まれた蛙だった。
ぞわり、と全身が総毛立ったのは、男に顎を撫でられたせいだろうか。だが、その直後に起きたことは更に俺を混乱させた。
「んぅ、っ……⁉」
生ぬるい感触が唇に触れる。キスされたのだ、と頭が理解する頃には、口吻が舌を絡めた深いものに変わっていた。俺はDomの男とキスをする趣味などない、という抗議の気持ちを込めて肩を掴む。ワイシャツ越しにもわかる俺よりもがっしりとした身体つきに言葉を失った。その間にも、男の舌は絶えず俺の口内をかき乱す。俺の思考までぐちゃぐちゃにするように。
「っ……ふ、ぁっ……」
「ふふ、かぁわいい声。気持ち良かった?」
唇から漏れた微かな声を、光忠は聞き逃さなかった。どちらのものともわからぬ唾液で濡れた唇を、真っ赤な舌がなぞる。
「抑制剤はあくまで、症状を抑えるための薬。蛇口から止めどなく注がれ続ける水を、柄杓でかき出すようなものさ。それが何日、何ヵ月、何年と続けば、いずれ――」
――いずれ、限界が来る。
その『限界』が来た時を想像することは、俺にとって恐怖に他ならない。これまでDomとして生き、Domとして得てきた快感を手放すこと。これまで俺が何人もSpaceに持ち込んで、支配してきたSubと同じ立場に置かれること……。Switchである俺の中に眠るSubとしての悦びは、パンドラの箱のようにずっと仕舞い続けなければならないものだったのに。
「バーに入ったときから、君の後ろ姿に目が釘付けになった。おまけにSubの抑制剤を飲もうとしていたから、つい声をかけてしまったんだ」
光忠は口元に笑みを浮かべる。今はそれが何よりも恐ろしい。厳重に閉ざしていた開かずの扉を、内側から開けさせようとするような無言の微笑みが。
「ふふ、そんな顔をしないで。抑制剤で押さえつけるのって辛いだろう?」
「っ……!」
最っ悪だ、と毒を吐くつもりだった唇を再び塞がれる。菓子を啄むように唇を食まれ、ちゅく、と濡れたリップ音が零れる。
「いいかい? これが"Kiss"だよ」
離れた唇を追って、触れられた場所が熱と痺れを持つ。Domがルールを決めるたび、SubはそのDomの好みに『躾け』られるのだ。
「嬉しいよ。僕の命じるコマンドが、全部君の初めてなんて。一つ一つ、覚えていこうね」
舌なめずりをする姿は、獲物を狩る捕食者そのものだった。
「"Strip"」
光忠が足を組む。俺が服を脱ぐ一部始終を観察するつもりなのだ。その肘掛けつきの椅子は本来ならば俺のもので、お前のような美しい相手を躾けるための装置なのに。
のろのろと動き始めた身体が、操られたようにジャケットを脱ぐ。ポケットの中で軽い音を立てるピルケース。手を伸ばせば届く距離にあるものが、今はとてつもなく遠く感じる。この男の与えるコマンドは抵抗という選択肢を消して、服従の悦びを教えこむような力があるのだ。
ぷち、ぷち、とワイシャツのボタンが外れる。くそ、俺は何をやっているんだ。
「恥ずかしいのかな? 大丈夫、ちゃんと見てるよ」
その見られるのが嫌なんだろうが!
勢いに任せて下まで脱ぎ捨てると、ヒュウと軽快な口笛が鳴った。弄ばれたのだ。頬にカッと血が集まる。恨み言の一つでもぶつけようとした途端、光忠の穏やかな声が鼓膜をくすぐった。
「いい子だ。初めてなのに、ちゃんと"Strip"ができてえらいね」
甘い声で褒められると、言葉にできないような高揚感が押し寄せる。おまけに頭がふわふわして考えが纏まらない。
「"Strip"のあとは、体を隠しちゃいけないよ。君のきれいな身体を、僕によく見せてくれ」
コマンドにつけられる注文が、まるで足枷のように俺を縛る。目に見えない拘束。躾けられて、光忠好みを教え込まれていく。俺はどうすればいい。この男のコマンドに従えば、もっと気持ちいいことが待っているのだろうか。
「今度は僕が脱ごう。"Look"だよ」
光忠がベストのボタンに手をかける。流れるような指先の手つき。はだけたワイシャツから覗く白い肌。恵まれた肉体を持つ者が多いとされるDomだが、光忠のそれは他のDomの追随を許さぬほど洗練されていた。時折視線がぶつかり合い、"Look"ができていることを褒めるように微笑みを浮かべる。"Good Boy"の形に唇が動いて、それだけで下腹がじゅんと熱を帯びる。
「今度するときは、君に脱がせてもらうのも悪くないね」
次などあってたまるか、という悪態は、ご褒美のキスにかき消された。
「たくさんコマンドできてえらいね。Subは初めてだなんて信じられないくらいだ」
「そ、そんなの、嬉しくな……っ」
頼むから、俺を見てくれるな。"Good Boy"と言って、これ以上俺を悦ばせるな。こんな惚けた表情を、誰に見せることができようか。
「次は"Come"を覚えようか。できるかな?」
安物のベッドを軋ませ、指をクイと曲げて俺を誘う。光忠のコマンドは、命令というよりも俺に手ほどきをしてくれているようなのだ。ベッドに乗り上げると、男は自分の太腿を軽く叩く。
「ここにおいで。向かい合わせになろう」
「は、……」
身体が勝手に動く。光忠の太腿を跨いで腰を落とすと、互いの肌が触れあった。本来ならば衣服で守られているはずの場所が直に肌を感じて鳥肌が立つ。
くそ、どうしてこんな恥ずかしいことを……!
太腿から少し尻を浮かせると、チンコがぶるんと揺れた。嘘だろ、勃起してる。しかもこんな至近距離じゃ光忠にも見られてしまう!
勃起したチンコをどうにか手で覆って太腿の間に押さえ込む。どうにか隠せただろうか。光忠に勃起が気づかれないように平静を装っていると、長谷部くん、と声をかけられた。
「こら。"Strip"の後はどうするんだっけ?」
「ぁ、……」
しまった。Stripの後は体を隠してはならないのだ。おずおずと手を離すと、固くなったチンコがぶるんと立ちあがった。
「約束は覚えていてくれたんだね。でも、隠しちゃったからお仕置きだ」
耳元に注がれた『お仕置き』の四音。その単語がどこか甘い雰囲気を漂わせているのは、きっとこの唇から発せられるせいなのだ。
「お仕置き、頑張れるね?」
光忠の眼がぎらぎらと鈍い光を帯びている。ああ、俺は今からこの男に『お仕置き』をされるのだ。どんなことをされるのかと想像すると背筋が強張った。
「大丈夫、君の嫌いな痛いことはしないよ。その代わり、恥ずかしいことをしようか」
「何、を……」
「君が隠したところ、僕に"Present"して?」
「な、っ……!」
こんな場所、Presentなんてできるか!
それでも体は勝手に動く。気づけば、男の出すコマンドに応えようと膝立ちで腰を突き出していた。
「いい子だ。おちんちん勃起したのが恥ずかしかったのかな?」
この無様な姿を晒すなど、羞恥以外の何物でもない。ガチガチに勃起したチンコは光忠に見てもらいたいと言いたげに鎌首をもたげ、我慢汁まで垂らしているのだ。光忠にうっとりと見つめられ、指が伸びてくると、口の中にじゅわりと唾液が溜まる。
「ん、ぅあぁ……っ!」
下半身がびりびりと痺れる。指先が裏筋をなぞったのだ。ただ優しく触れられただけなのに、目の前に小さな閃光が走る。これも『お仕置き』のせいなのだろうか。
「っは、かぁわいい。でもこれじゃあお仕置きにならないな。今度は"Attract"してごらん?」
更なるコマンドが発せられる。今度は誘惑。だが体は前のように従順な動きを見せなかった。俺は誘惑のやり方など知らないのだ。
知らないものはコマンドを出されても動けないらしい。呆然としている俺に、燭台切はコマンドを畳みかける。
「ヒントをあげよう。――きみ一人で善がってる姿が見たいな」
「はぁ、っ⁉」
一人で善がる。一人で……。
つまり、自慰を見せろと……⁉
光忠の前で抜く己の姿を想像すると、無意識に手が動いた。ガチガチに勃起したチンコを握って、上下に扱く。直接的な刺激に覚えたてのコマンドの悦びが相まって、少し擦れただけでも脳みそが痺れるように気持ちいい。
「あ、ッ、ぅう、はぁ、ン……っ!」
「あはっ、先っぽぐりぐりするのが好きなの?」
「くぅ、っあ、そんな、ことは……っぁあ!」
つるんとした亀頭の窪みを指が撫でると、膝がガクガク震えだす。駄目だ、快感がコントロールできない。気持ち良すぎてもう動きたくないのに、光忠のコマンドがなおも俺を縛る。
「姿勢、崩してもいいよ。でもちゃんと僕に見せること」
「は、ぁあ、ぅ、んン……っ!」
そうだ、この自慰は光忠に見せなきゃいけないのだ。そうじゃないと"Attract"の意味をなさない。俺はベッドに突っ伏す代わりに、光忠の肩に手を置いて体勢を整えた。こうすればきっと、俺の善がってる姿がよく見える。
「あァ、ンっ、ふぅっ、ちゃんと、見えて、る……?」
光忠に曝け出した痴態。腰が勝手に揺れて、燭台切の胸に己の胸を押し付けた。もっと見てくれ。もっと俺の姿を見て、ちゃんとコマンド通りにできたことをたくさん褒めてくれ。
「あ、でる、く、ぅあ、あぁ――!」
ぎゅう、と睾丸が持ち上がって、全身をドクドクと熱い血が駆け巡る。頭の中が真っ白になって、手の内がどろりと汚れた。その一部始終を観察する琥珀色の瞳を見ると、全身がとろけてしまうんじゃないかと思う。全部とろけきった俺のことを、光忠がたくさんケアしてくれるとしたら、それはどんなに幸せなことだろう。
「最後まで"Attract"できて、えらかったね」
「はーっ、はーっ、はぁー……」
絶頂の快感に浸っている俺を、光忠は優しく抱きしめてくれた。その高揚感が静かに身を灼き、行き過ぎた熱が暴れ出そうとする。
「ま、って、こわい、みつただ……っ」
腕を伸ばして背中にしがみつくと、光忠の肌に熱が吸収されていくような心地がした。そのまま顔を埋めると、光忠の匂いが肺を埋める。
「大丈夫? 一旦落ち着こうか。くるしいときは、ちゃんとセーフワード使うんだよ」
「い、やだ……っ、セーフワードは、いらない……」
背中をとんとんと叩く大きな手。長身の俺をも包み込む広く分厚い胸。大事にされていることが、言葉にしなくても伝わってくる。
こんなに気持ち良くて幸せなのだ、セーフワードを使うどころか、お仕置きでさえ「もっと」とねだってしまいそうになる。
「"Good Boy"。ちゃんとお仕置き頑張れた子には、ご褒美をあげよう」
ご褒美。その言葉に腰がじゅんと熱をもつ。これ以上気持ちいいことをされたらどうなってしまうのだろうかという不安と、それを上回る期待。光忠は俺に膝立ちのまま"Stay"するように言って、ぴったりと腰をくっつけた。
「君があんまり可愛いから、もうガチガチだよ」
ボクサーパンツが触れた途端、あまりの熱さに膝が砕けそうになった。熱いだけじゃなく、硬くてデカい。
触れあった男の象徴に嫌悪感はなかった。光忠が俺を見てこんなに欲情している、俺の"Attract"で満足してくれたのだという喜びが勝っていた。
「きみのイイ所、たくさん教えてくれてありがとう」
「ひゃう、っ……!」
耳元で囁かれる甘い言葉。崩れそうになった上体を支える頼もしい腕。じわりと溢れ出た雫が光忠の黒いボクサーパンツに濃い染みを作って、恥ずかしさで腰が痺れた。
「今度は一緒に気持ち良くなろうね」
ぶるん、と出た燭台切のチンコ。うわ、めちゃくちゃデカいな。カリも血管もグロテスクなまでに浮き出ている。光忠の大きな掌が俺のもまとめて握ると、血管の凸凹が擦れて太腿が震えた。
「っは、長谷部くん、先っぽで裏筋なでなでしてくれるの?」
「あ、んン……! この、でかまら……っ、ばかに、してるのか……⁉」
俺の裏筋はせいぜいお前の茎の血管で擦れている程度なのに! お前のが頭一つ出ているのがおかしいんだ!
だが、気持ちいいなんて褒められると、頭の中がふわふわしてくる。握って、と言われるがままに光忠のチンコを握ると、手の中で別の生き物のように激しく脈打っていた。
「ん、ふぁ、ア、くぅ……っ」
吐精したばかりの茎はすぐに硬さを取り戻す。光忠の手が少しずつ上にずれて、指が亀頭に蓋をするように覆い被さった。
「ッ、ここが、いいんだっけ?」
「ふぁ、あ、んぅ、そこ、きもちい、っぁあ……!」
鈴口に親指が沿い、ぐりぐりと中をほじくるように指が動く。なんで俺の良いところを的確に抉るんだ。こんなの、またイってしまう……!
「はぁ……っ、まずいな、僕も暴発してしまいそうだ」
光忠のこめかみに汗が浮いている。短い呼吸の間に混ざる上ずった声が、一層果てまでへの道を急き立てた。
「ッ、長谷部くん、……もうひとつ、コマンドをかけていい?」
コマンド、の言葉で、ぼうっとしていた頭が現実に戻された。これ以上気持ちいいのなんて耐えられないと思っていたのに、気がつけば首を縦に振っていた。光忠の口元がニッと曲線を浮かべて、噛みつくようにコマンドを出す。
「"Kiss"」
「あ゙、んぅ……ッ!」
俺は、無我夢中で光忠の唇にむしゃぶりついた。
この唇から発される、全てのコマンドが欲しい。それから、たくさんケアをしてほしい。Domの尊厳など捨ててもいい。このDomに全てを委ねて、この男に溺れきってしまいたい。
分厚い唇が俺の唇を挟み返し、優しく引っ張られる。唾液がリードのように俺を繋いで、絡みあう舌で光忠の熱を感じる。
気がつけば、射精した時とは比べ物にならない快感に呑まれていた。いつ絶頂したのかもわからない。頭がぼうっとして、光忠の世界に取り込まれていくような感覚が包んでいた。
「ふ、ぁあ、はぁ……♡みつたら、なに、これぇ……♡」
ああ、もう呂律も回らない。よしよしと撫でる手に頬ずりをすると、光忠が微かに微笑む気配がした。
「はあっ……、長谷部くん、いま、どんな感じ?」
「ぁン、あ♡♡なんか、ふわふわして、きもち、いぃ、みつたらぁ♡ふ、んぅっ……♡」
唇に縋りつくと、光忠が宥めるようにキスをしてくれる。いい子だと囁かれて、体の内側から甘い喜びに包まれた。
「よしよし、space入っちゃったのかなぁ? はじめてのspace、きもちいいねぇ」
「んぅ♡すぺーす、……?」
そうか、これがspaceなのか。俺もDomとして、Subをspaceまで持って行ったことは何度かある。だが、ここまで気持ちいいものだっただろうか。答えは否だ。むしろ、コントロールを手放さないようにすることが常に頭の中にあった。他人にコントロール権を委ねるなんて信じられないと思っていたが、今だけ、光忠にだけなら、預けてもいいかも、しれない――。
「長谷部くん、いっしょにspaceまで来てくれてありがとう。ご褒美のしるしつけてあげる」
光忠はそう言って、俺の首筋に顔を埋めた。ややあって、じゅっと肌を吸う音がする。少しの痛みさえ気持ち良くて、吸い上げられたようにぴゅっと白濁が飛んだ。
「ふぁ……♡みつただの、しるし……♡」
ああ、もうだめだ。熱くなったチンコからとろとろと蜜が零れ続ける。崩れた体勢を光忠が支えてくれて、ゆっくりとベッドに横にしてくれた。だんだんと意識が体を離れて、どこかへ行ってしまいそうになる。
「……っと、これ以上はまずいな。長谷部くん、戻っておいで」
「ふぇ、……?」
そのとき光忠の甘い声がして、遠のいていた意識が現実に引き戻された。絶頂の向こう側にある気怠さとともに、指先に感覚が戻ってくる。
「大丈夫かい? ここはどこだか、わかる?」
「ん……だいなみくすの、ばー、だろ……?」
まだ少しだけふわふわとする頭で、これまでの出来事を再生する。俺はこの男にSubにさせられたのだ。Subとしてのコマンドの応え方と、Domよりも気持ちいいことをたくさん教えられて。
「長谷部くん、コマンドの吸収が早くてびっくりしたよ。一緒にプレイしている間、すごく気持ち良かった」
「そ、そう、か……」
思い出すと顔から火が出そうだ。まさかお仕置きで気持ち良くなれるなんて思っていなかったし、とても素面では言えないような恥ずかしいことまで口にしてしまったような気がする。おまけに、抑制剤を飲み続けてもなお抑えきれなかった心の中のもやもやは、知らないうちに全てどこかに行ってしまっていた。
「僕たち、相性がいいのかもね」
「……ふん、どうだか」
何せ、俺は光忠以外を知らないのだ。相性の良いも悪いもわからない。
だが、これまでにしたどんなプレイよりも気持ち良かった理由を考えたとき、俺にSubの素質があったことよりも、光忠との相性の方が大きいような気がした。まあ、俺のプライドが断じてSubの素質を認めなかったとも言うが。
「君はSwitchだ。Domとしての欲求も持ち合わせていることもわかっている。君の嗜好が、Dom寄りなことも。でも……。もし君の中でまたSubの欲求が大きくなったら、他のDomじゃなくて、僕を呼んでほしいな」
「んなっ……⁉」
だ、だれがDomなど誘うものか! 抑制剤を飲むに決まっている!
そう反論しようとしたとき、光忠の掌が優しく髪を撫でた。待て、それをされると、なんか、腰がむずむずして、おかしくなる……。
「もちろん、僕も君以外のSubは作らないよ。君をじっくりと、僕好みのSubに育てたいからね」
「ふぇ、……っ」
それは、いわゆるパートナーというやつではないか。だが、俺はSwitchだ。普通のSubのように、光忠に支配されるだけで満足できるわけではない。
「お、お前はそれでいいのか……?」
自分のことよりも光忠が心配になって尋ねると、光忠の真剣な表情がふっと緩んだ。――あ、そんな笑い方もできるんだな。
「こんなに気持ちいいプレイは、僕も初めてだからね。君以外のことは考えられなくなってしまったよ」
光忠の腕が腰に回る。逞しい腕に抱かれるのは不思議と嫌ではなくて、むしろ心地よくて。それも、きっと光忠が格好いいせいなのだ。
「長谷部くん。僕と一緒に、最高のプレイをしないかい?」
「っ、…………」
光忠はコマンドを出さない。"Kneel"と言えば、簡単に俺を従属させることができるのに。"Say"と言えば俺から答えを引きずり出すことさえできるのに。じっと俺の両眼を見つめて、ただ、俺の決断を待っている。
「……連れて、行ってくれ」
俺の知らない、Subの世界に。
その答えを聞くと、燭台切は満面の笑みを浮かべた。そして、あの大きな手で俺の頭を撫でた。
「"Good Boy"」
その甘い響きに導かれ、体の奥で一輪の花が咲いた。