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Isosceles trianglar

天城

「ァ、あ……!」
 びくん、としなる背中に大きなてのひらがぽんぽんと宥めるように触れてくる。
「長谷部くん、大丈夫?」
 こくこくと頷いていると、くいと顎に指を添えられて唇を吸われた。下半身からの水音に加え、ちゅ、ちゅ、と短いリップ音が響く。絶頂の余韻に揺蕩う俺へ何度も寄越される口づけ。それをただぼんやりと受け止めるばかりの俺を窘めるように、背後から低い声が囁かれる。
「ほら、長谷部くん。そっちの『僕』に命令してあげないと」
 「"Say"」と耳元で告げられた言葉に脳髄の奥がじぃんと痺れる。震える唇を開いて、俺は命じられるままに目の前の男へ命令を下す。
「"Lick"」
 半開きにした唇にぬるりと舌が這う。ふふ、と吐息だけの笑い声が俺の唇をわずかに揺らす。
「舐めるだけでいいの?」
「ん、吸って、舌も噛んでほしぃ……」
「オーケー」
 表面をなぞるだけだった舌が俺の口内に差し込まれた。舌先と舌先が触れ合ったかと思えば、そのままじゅっと強く吸われて腰が震える。反射で尻の穴を締めつけてしまった俺をくすくすと笑うのは背後の男だ。
「『僕』にキスされて感じちゃったんだ? かわいいね、長谷部くん」
「ぁン、うごかす、なっ……!」
「そうだよ。次は僕の番だろう?」
 ちゅうちゅうと吸っていた俺の舌を解放しながら、不満げな声を上げる目の前の男。
「ごめんごめん」
 そう謝ってずるりと俺から自身を引き抜く背後の男。
 全く同じ容貌をした二人の男は「長谷部くん」と同時に俺の名前を呼んで、告げる。

「僕がとろとろにしたおまんこ、『僕』に"Present"して?」
「『僕』がとろとろにしたおまんこ、僕に"Present"してよ」

 

    ◆ ◆ ◆

 


 気づいたら会社の金を横領したことにされ、路頭に迷うことになるなんて、人生はどう転ぶかわからない。
 順調な人生を送ってきたつもりだった。周りの期待に応え、いい学校へ進み、安定した企業へと就職した。会社や上司へと尽くしてきて、その仕打ちがこれだった。
 人気のない駅のホームのベンチに座りながら、俺はぽつりと呟いた。
「……しにたい……」
 幸か不幸か、今いる駅は急行の通過駅だった。ホームを通り過ぎる電車めがけて飛び込めば、楽に死ねるかなぁ、とそんなことを考える。
 もうすぐ帰宅ラッシュの始まるこの路線が人身事故で止まれば、きっと大きなパニックになるだろう。俺に濡れ衣を着せて追い出した会社の奴らにも、ちょっとは迷惑をかけられるかもしれない。うまくいけば、警察が被害者の俺を捜査して、会社の悪事を暴いてくれるかも。
 率直に言って人生に疲れていた。
 俺があんなに尽くしたのに、会社は――社会は俺に報いてはくれなかった。だったら、すこしでも社会に迷惑をかける方法で死んでやりたい。
 そうして吸い寄せられるようにふらふらと線路の方に足を進めようとした、その時だった。
「危ないなぁ! そっちは線路だぜ」
 白髪の男だった。細身で華奢に見える外見に反し、こちらの腕を掴む力は結構なものだ。振り払う元気もなく、俺はだらりと腕の力を抜いた。
「……知っているが」
「なるほど、自殺志願者か。しかしせめて俺が帰ってからにしてくれないか? さすがに目の前で死なれちゃあ寝覚めが悪い」
 こちらを心配しているのかと思ったらそうでもないらしい。反論するのも面倒だったので「そうか」と頷いてベンチへと戻れば、白い男は図々しくも俺の隣へと腰かけた。それどころか、こちらを値踏みするような視線で頭の先から爪先までじろじろと見つめてくる。
「きみ、名前は?」
「長谷部国重」
「性別は?」
「男だが」
「そっちじゃない。ダイナミクスの方だ」
 俺は視線だけ隣へと動かした。
「……Switchだが」
「なるほどなるほど」
 うんうんとしきりに頷かれ、段々と妙な居心地の悪さを感じてくる。Switchは珍しいので好奇の視線を向けられることは今までも結構あったが、さすがに何か言うべきか。しかし俺が口を開こうとした次の瞬間男が口にしたのは、俺がこれまで言われたことのなかったことだった。
「ちょうど顔のいいSwitchを探していたんだ。どうせ捨てる命なら、俺に一度預けてみないか?」

 そうしてあれよあれよという間に連れて来られたのは長船財閥本家の邸宅だった。
 長船財閥といえば世界有数の資産家一族で、俺の勤めていた会社も元の元を辿ればこの財閥に関係していたはずだ。
「ここの次期当主がSwitchのパートナーを探していてな」
 ダイナミクス持ちが探す相手は大抵DomかSubだ。わざわざSwitchを探す理由なんてひとつしか思いつかず、俺はそのひとつを迷わず言葉にした。
「その次期当主とやらはSwitchなのか?」
 DomとSub両方の性質を持つSwitchには、同じくSwitchのパートナーが相応しいとされている。お互いにお互いの二つの性の欲求を満たせるからだ。
 だが長船家の次期当主ともなれば、いくら珍しいとはいえSwitchのパートナー探しなんて造作もないことはずだ。ひとたびメディアでパートナー募集の公告を出せば、国内のSwitchが数キロに渡る行列を作るのは想像に難くない。
 怪訝な表情を浮かべる俺に、鶴丸国永と名乗った白髪の男はこともなげに答える。
「いいや。DomとSubだ」
「なんだと?」
「DomとSub。ここの次期当主は双子なんだ」
 驚く暇もなく、俺の目の前で重厚な木製のドアが開かれる。
「よっ! 来たぜ、光坊」
 毛足の長い紅の絨毯の敷かれた部屋の正面奥、これまた重厚そうな木製の机にふたつの人影があった。
 艶のある夜色の髪、陶磁器のような白い肌、黄水晶のような瞳。眼帯をしていてもすこしも損なわれない絶世の美貌に、俺は一瞬同じ種類のマネキンが並んでいるのかと思った。
 けれどその二人はぱっと立ち上がってにこりと笑みを浮かべた。
「「鶴さん、その子がさっき連絡をくれた『長谷部くん』?」」
 綺麗なユニゾンで名前を呼ばれ、思わず背筋が伸びる。二人の男は立ち上がってこちらへと近寄り、さきほどの鶴丸のような、こちらを値踏みする視線を向けてくる。
「なるほど、かわいいな」
「なるほど、かわいいね」
 そうして顔を見合わせてにこりと笑いあう。こうして近くで見ると、本当に鏡合わせのようにそっくりだ。
 同じ顔をした男たちは、俺にそれぞれ手を差し伸べた。
「「君を歓迎するよ、長谷部くん」」

 


    ◆ ◆ ◆

 


 そもそも長船家としては双子のどちらかを他家へ養子にやるつもりだったのだという。
 しかし引き離されることを嫌がった双子は、二人の見分けをつかなくすることで対抗することにした、らしい。
「幸いその時はダイナミクスが発現する前だったからね」
「僕らほら、見た目はそっくりだし」
「二人で一人の『長船光忠』ってことで」
「それなりにうまくやってたんだけど」
 十代の頃にダイナミクスの検査をしたところ、双子の性別が異なっていることが判明したというのである。
 普段は抑制剤で衝動をコントロールし、性別を隠してはいるものの、これから一生の間抑制剤を飲み続けるのも不健康である。そこで、二人で共有できるSwitchのパートナーを探していたと、そういうわけらしい。
「待て。それならおまえら二人がパートナーになればいいんじゃないか?」
 俺のもっともな疑問に対し、二人は同時に肩を竦めた。
「それが僕ら相性が最悪でさ」
「試しに簡単なコマンドを試してみても吐き気がしちゃって」
「かといって、お互いに違うパートナーを連れてたら見分けられてしまうだろう?」
「そこで僕達は考えたんだ」
 そうして二本分の右手人差し指がぴんと伸ばされた。
「「どこかのSwitchと三人でパートナーになればいいんだ、ってね」」
 そんな財閥の跡継ぎ問題に関わる重大な秘密を俺ごときに話してしまっていいのだろうか。俺とプレイをするということは、少なくともプレイ中俺にはどちらがDomでどちらがSubなのかは見分けがついてしまうのだが。
 そろりと視線を背後のドアにやれば、いつの間にか鶴丸が出口を塞ぐように腕組みして立っていた。そこで俺は鶴丸がわざわざ自殺志願者を勧誘してここまで連れてきた理由に合点がいった。
「…………つまり、俺におまえらの共犯者になれと、そういうことだな?」
 この提案を受ければ生き地獄、受けなくても何らかの方法で口封じをされる。どっちみち俺の行き先は地獄しかないということなのだろう。
 秘密を話すにしても守らせるにしても、口封じする人数は少ないほうがいい。そこにもう行く当てのない俺はうってつけだったというわけなのだろう。
「そういうこと」
「察しがいい子はすきだよ」
 にこにこと、場にそぐわないほど朗らかに双子が笑う。きっと遠目からなら、友人と週末どこに行くかを話しているようにしか見えないだろう。
 どのみち俺の退路はすべて塞がっている。お先も真っ暗だ。だったら、せめて。

「わかった。おまえらの提案、乗ってやる」

 


    ◆ ◆ ◆

 


 そうして『長船光忠』を名乗る双子と俺がパートナー契約をして半年が経った。
 最初の一ヶ月は三人での生活ルールとプレイの仕方をみっちりと仕込まれた。初めは簡単なKneelなどのコマンドから始まり、そのうちにHugやKiss、StripにLickなど。コマンドを出し合うだけの関係に、セックスが加わったのは三ヶ月めくらいからだったと思う。
 男同士のセックスの経験がなかった俺を「初物なんだ」「寿命が延びるね」などと言い合い、双子は嬉々として開発してきた。

「っひ、ぁ! やだ、そこ、舐めるな、あ……んんっ!」
「駄目だよ長谷部くん。ほら、『僕』が舐めてたみたいに僕のことも舐めて? "Lick"」
「舐めちゃ駄目なの? じゃあ僕はどうしたらいいかな。教えてよ長谷部くん」
「んむ、ぅ、あ、や……やめるな……」
「「長谷部くん、コマンド」」
「………………"Lick"」
「"Good boy"」
「よくできました」

 性器への奉仕の仕方、奉仕のされ方。乳首や前立腺や結腸で快感を得る方法。
 そんなこんなですっかり開発が進んだ頃には、俺も三人でのプレイが癖になってしまっていた。
 Domの光忠がコマンドで俺に奉仕をさせ、「今度は長谷部くんが奉仕される番だよ」とSubの光忠に同じ命令をさせる。コマンドを出して出されてSubの光忠と一緒にSub spaceに入って。理性も羞恥心もどろどろに煮込んだスープみたいにとろけた頃、光忠達は交代で俺を抱く。その頃には俺もどちらがどちらの光忠かわからなくなってしまっていて、ただ目の前の背中やうなじに縋りつくことしかできない。尻の中で二人分の精液が混ざり合い、抽挿とともにぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てて泡立つ。肉茎が抜け、ぽかりと空いた穴からとろりと流れ落ちた精液を、二人の指が嬉しそうにまさぐり、濡れた指で俺の胸や腹に塗りたくるように触れる。

「えっちだね」

「うん、えっち」
「こうしてると僕らの長谷部くんって感じがするよね」
「ね」
 光忠達はそう言ってくすくすと笑い、文句を言う気力もない俺へ愛おしむようなキスをする。当然だが、どちらの唇も同じ感触がする。
「「長谷部くん、かわいい」」
 そうしているうちにふつりと意識を失って、気づけば俺を中心に三人仲良く川の字になって朝を迎えている。そんな毎日だ。

「長谷部くん、浮かない顔だね」
「長谷部くん、どうかしたの?」
 左右から同じ声が同時に違う言葉を問いかける。この二人の掛け合いめいた奇妙な話し方に、俺はもうなんの物珍しさも感じなかった。
「いや、この生活にもすっかり慣れてしまったなと」
「飽きちゃった?」
「それとも退屈してきた?」
「いや、意外と充実している」
 手元のスケジュール帳に目を落として双子の次の予定を確認していると、くすくすと両側からこれまた同じ調子の笑い声が響く。
「長谷部くんはこれだから、ねえ?」
「ねえ? これだから長谷部くんは」
 そうして顔を見合わせてにんまりとチェシャ猫スマイルをしあう二人の、どちらがDomでどちらがSubなのか、俺にもこういう時ちょっと見分けがつかない。コマンドでも出してみればわかるとは思うが、わざわざ日常生活でする必要も感じないのでしない。
 今日は光忠達の出張についていく日で、俺達は駅の待合室で三人仲良く座って新幹線を待っている。
 待合室のガラスの向こうでは新幹線があちらこちらへと唸りをあげて走っている。
 もしあれに飛び込んだら、まあ多分楽には死ねるんだろうなぁと思った。きっとものすごく痛いだろうけど。
 その時、光忠達は泣いてくれるだろうか。傷ついてくれるだろうか。それとも、残念がりつつもすぐ次のパートナーを探し始めるんだろうか。俺にはまだ確証が持てない。
 尽くした社会に裏切られ、退路も断たれてお先は真っ暗。早かれ遅かれ、いずれ口封じに消されるだろう命だ。
 だったらせめて光忠達が一番傷つく時に命を絶って、こいつらに一生消えない傷を遺してしまいたい。
 ――あの日からずっと、そんなことを考えている。
「長谷部くん、すきだよ」
「長谷部くん、大好き」
 二人の光忠が両側から俺の頬に口づける。俺は黙って二人の手をぎゅっと握る。

 


    ◆ ◆ ◆

 


「この子がいいな」
「この子がいいね」
「おいおい、花いちもんめじゃないんだぞ」
 大量のリストの中から二人がピックアップしてきた人物を見て、鶴丸は苦笑いを浮かべた。
「なになに、長谷部国重。勤め先は……ああ、本丸グループのところか。しかし真面目そうな男だな。うまく引き抜けるか?」
 「引き抜けるかは問題じゃないよ」と答えたのは鶴丸から向かって右側に座る光忠で、「引き抜くんだよ」と答えたのは左側に座る光忠だった。
「適当に会社にいられなくして」
「適当に路頭に迷わせちゃって」
「居場所をなくしちゃえばいい」
「僕たちが居場所になればいい」
 ねえ、鶴さん。そうして二人の『長船光忠』は熱の籠もった黄金の眼差しをじっと向けてくる。
「「お願い。一目惚れなんだよ」」
 また厄介なのに目をつけられたなぁ、とひとりごちながら鶴丸は息を吐いた。この二人がこうなったら絶対に我を通し抜くことは知っている。この青年には可哀想だが、諦めてもらうしかあるまい。
「長谷部くんは僕らを好きになってくれるかな」
「殺したいくらい憎んでくれてもいいなあ」
「どっちだってきっとかわいいよ」
「ね。早く会いたいよ」
 鶴丸はそんなことを言い合う二人を横目に、手元の資料へと視線を落とした。煤色の髪に意思の強そうな藤色の瞳。この長谷部国重という青年が、『長船光忠』の無邪気で残酷な愛情に見合うほど、彼らに何かを感じてくれればいいなぁと、そう願わずにはいられなかった。

 


    ◆ ◆ ◆

 


「おまえらなんか大嫌いだ」

 

Isosceles trianglar(二等辺三角関係)

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